平成17年の年が明けました。ニュースは、スマトラ沖地震の津波による多くの犠牲者の方々の悲惨さを報じ、新潟の地震被災地の厳しい冬を報せてくれます。それぞれの人々の平穏な生活を、突然に壊してしまう自然災害、大事な大事な命を簡単に奪ってしまう悲惨な事件、今も続いてるイラクの戦争・・・・・・いつの世でも繰り返されて来たことかもしれませんが、今日ほど家にいながら世界中のニュースが目に耳に伝えられる時代もなかったことでしょう。 故郷飛騨の地で土を耕して心ゆっくりとと始めた生活も、海路図どうりには進まず難破しかけたり、大波うけたり、迷路をさまよったり。広い社会の中の、豆粒ほどにもならない小さな小さな家族でもいろいろなことがありました。でもいつも折々に短歌が共にありました。読み返せば日記のように、その時が浮かんで来ます。一年に2句しか詠めなかった時には、詠めなかった時の生活が思い出されます。平成10年以後の、つたない短歌をまた続けます。 |
平成11年
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山水の 清かな冷気 手拭いに 含めて母の 顔を拭えり | ||
空も見ず 山川も見ぬ 夏が行く 母の命の 日々細まりて | ||
八十七 母が娘に 言ったという 美知子をおいて 逝くから頼むと | ||
律儀なる 母は最後の息さえも しっかと吸いて 命仕舞えり | ||
山寺の 山門くぐる 野辺送り 秋の陽いっぱい 母を包んで | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
10月19日午後8時39分母が亡くなりました。大好きな母でした。大きな大きな存在でした。「最後まで母の部屋で」それがみなで、母にしてやることのできた ただ1つのことでした。 | ||
秋の陽を 背に受け 玉ねぎ植えゆけば 亡母も畑に いる気配して | ||
平成12年
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体中 やわき緑に 包まれて 夫と歩く 馬篭の峠 | ||
背伸びして 藤村読んだ 日もあった 馬篭の宿に 山吹の花 | ||
若い日に 諳んじた詩が 浮かびくる 木曽路歩けば 歌人の気分 | ||
7月、長女が結婚しました。不思議と短歌は一首も浮かびませんでした。 | ||
平成13年
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飛騨は雪 二人は今日も ほこほこと 町営プール 常夏楽園 | ![]() |
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重き事 この雪の中 埋めましょう 晒して下さい 春来るまでに | ||
近江より 連れ越し 蝋梅 種十個 飛騨に根付いて 数多の蕾 | ||
雪に乗り 風を切り分け 滑り行く 我に残れる 力試して | ||
やわらかい 陽を浴び 散歩する母子 あったなあんな日 過ぎ去った時 | ||
細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
付き添いて 名呼ばれるを 黙し待つ 冬に戻る日 無き事念じ | ||
体調不安定だった夫の精密検査に付き添って、結果異常も無くホッとしました。 | ||
平成14年
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ナースという プライド支えに 闘病の 娘が日々記す 深き薬害 | ||
知識なき 母が塗りきた ステロイド つもりし薬害 抜け切る日待つ | ||
次女が平成13年4月、5年間働かせていただいた大津市民病院を退職し我が家に戻ってきました。 「今でなければ出来ないことがある。どうしても、今やりたいことがある。」 引越し荷物を解く間もなく、バイクでロシアの大地を走る催しにナースとして参加するために出発して行きました。無事帰国するや今度は北海道 九州と、か細い体(?)で大きなバイクにまたがって1人旅。北は礼文島から南は波照間島まで、家で待つ親は気が休まりませんでした。予定の旅を一通り無事終えて 飛騨で暮らしたいからと近くの病院に就職、張り切って再出発したのですが、いろいろとストレスをためてダウン、退職。持病のアトピーが悪化して家での療養生活になりました。ステロイド薬は使わない、自己免疫力を高めゆっくり直すという頑固な意思を通し、温泉通い、食事、睡眠等、、、、、いろいろな書物を読み、同じ考えをもつ仲間と情報を交換し、長い療養になりました。見てるだけで力にもなれない、親にとっても、きつい日々でした。 そんななかで、8月7日(花の日と言ってます^。^)夫が還暦を迎えました。長女夫婦がお祝いにと「若狭・小浜還暦ツアー」なるものを計画してくれ 父さんおめでとうの旅をしました。嬉しい旅行でした。 |
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平成15年
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9月、線路を守る人たちとともに7年間働かせていただいた勤めを 退職しました。 | ||
帰り咲き つつじの花が ただ一輪 枯れゆく庭で 凛と空向く | ||
還暦を 過ぎた男が 向き合って 蕎麦を食みつつ 夢語る秋 | ||
僧となり 飛騨を出でしは いつの日や 叔父遠州の 土になりたり | ||
本堂の 建立しっかと 見届けて 叔父90年の 命終えけり | ||
連れ添いて コアラ住む地を 踏みしこと きらっと光る 私の宝 | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
障子張り 霧吹きかけて 仕上がれば 新しい年 そこに来ている | ||
平成16年
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一歩づつ 地につく足を 確めて 冬日の中を 頂きめざす | ||
頂きに 立ちて見渡す わが町は 山に護られ 川に守られ | ||
雪の載る 庭に小さな 顔出した 春待ちかねた ヒヤシンスたち | ||
50グラム その存在の 大きこと 名はアラちゃん 子桜インコ | ||
次々と 天から落ちて 消えてゆく 淡雪のごと 淡々とあれ | ||
かたくなに 生きてきたなあ その事が ちくちく痛む ぼたん雪の午後 | ||
喪の服で 仲間と寄りしラーメン屋 桜予報が むなしく流る | ||
細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
目覚めたら 30才になってたと 笑う我が子よ 嫁ぐ日ありや | ||
山と川 田圃畑の中にいて 市民というを 馴染めずにいる | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 町村合併により、益田郡金山町という名が消え下呂市の住民となりました。 |
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カメラ向け マイクつきつけ 取り囲む 事ある毎の 悲しい連鎖 | ||
溢るよな 陽射し桜花と 共に浴び 春ある国の 幸せに酔う | ||
旧き友と 流れていった 時をまた 引き戻してる 桜咲く夜 | ||
ひめしゃがを 一輪手向けて 枕経 若葉の山に 叔母は還りき | ||
この里に 4百年も 咲き続く 桜をやさしく 映す苗代 | ||
乱読の 本の中から ポツポツと 生きてゆく知恵 拾い集める | ||
好きな人 あまたの中から 選ぶよに 書棚を巡る 図書館の午後 | ![]() |
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庭先や 玄関居間に 台所 あじさいの花に つつまれて梅雨 | ||
三人で 暮らす小さな 家の日々 縒りをかけたり ゆるめたりして | ||
細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
あこがれし スイスの山に 友と来て ハイジになったり クララになったり | ||
目覚めれば 朝日に白く輝いた マッターホルンが そびえていたり | ![]() |
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この道は 小さき家に 続く道 カウベル鳴らし 牛のゆく道 | ||
幼より 夢見続けた スイスへの 旅終えた今 心満ちたり | ||
待っていて くれる人ある 幸せを 旅の終わりに つとに思えリ | ||
旅慣れた二人の友に くっついてスイスを旅しました。地図とスイス鉄道の時刻表を見ながら三人寄れば怖いものナシと、すっかり女学生気分の楽しい旅でした。行けてよかった、行かせてもらってよかった。 | ||
スイス旅行の写真を整理しながら、少し気になることがあって受診した県立下呂温泉病院で検査を受けるうち、「癌の疑い有り」で あれよあれよというまに癌患者になってしまいました。寝耳に水、晴天のヘキレキ、ついにわが身もかというあきらめ、なんとかなるさという気持ち、、、、、、複雑でした | ||
信長に 見張られてるよな 病室で 癌を抱えて まあるく眠る | ||
岐阜大学病院にて | ||
娘二人 育ててくれた この子宮 切り捨ててゆく 勝手をわびる | ||
あんなにも 忌み嫌ってた ケイタイの 着信待ってる 夜の病室 | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
救われし 小さな命 奪われし 若者の命 病む我が命 | ||
細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
新潟地震で救出された皆川優太君、イラクで殺害された香田証生さん、癌を病む自分、人の命を考えさせられました。 | ![]() |
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煩わず 秋の長夜を パソコンの ゲームで遊ぶ 気長に遊ぶ | ||
ぽっつりと 取り残された 枕辺に 金木犀の香 ほんのり届く | ||
小包を 開ければ 千羽の鶴があり 元気になっての メールとともに | ||
病室の ベッド一つが 居場所なれど 各々に厚き 人生フアイル | ||
「お母ちゃん」 甘えた声で 母探す 老女が幼に 還る病室 | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」特選 | ||
小瀬先生評 : 老女が甘えた声で母を呼び探している病室の情景はそれをぼけと言ってしまうことが出来ぬものである。 | ||
この年最後の岐阜歌壇に、特選に選んでいただけて 嬉しい年の瀬となりました。 | ||
平成17年 | ||
平成16年8月30日岐阜大学病院で子宮体癌の摘出手術を受けました。 |
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いそいそと 夕餉の支度が できること 病みて始めて 知ったしあわせ | ||
細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
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双手上げ 元気元気と 叫びつつ 癌細胞に 怯えてる我 | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
病み上がり 炬燵 居場所の 日々なれど 梅のつぼみは ふくらんでいる | ||
久しぶり 裁縫箱など 取り出せば 慈しむ時 そこに生まれる | ![]() |
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北壁に 青虫一匹 へばりつき 零下の朝も 孤高に生きる | ||
細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
梅一輪 一年ぶりの 内裏さま 御髪に寝癖 つけておでまし | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
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いぬふぐりの 小さな花に 頬よせて 春が来たねと 声かけてみる | ||
春三月 夫から届く 花束は 嫁ぐ日髪に 着けたフリージア | ||
雨音と 枝雀落語を 耳にして うとうとうとと 春はおぼろげ | ||
亡母くれし 水仙の花 咲き並び がんばれよって 励ましくれる | ||
真新しき ナースの服を 試着して 転職の子に 桜二分咲き | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
カーナビが 指示するままに 進む道 老いたる先も かくの如しか | ||
カーナビに ひかれしままに 訪ねゆく 林檎わさび田 安曇野の里 | ||
この五月 大地の力を いただこう 蒔く種たちにも 蒔く我が身にも | ||
大地から もらいし力を 身に溜めて 木々が若葉を 弾き出してる | ||
子育ても えらかろうにと 巣の脇に ツバメの止まり木 付けし人あり | ||
もうすぐに 一年が来る あの日から 癌告知なる ものを受けし日 | ||
細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
知多の海 蟹捕り遊んだ 日の話し 聞きつつ向かう セントレアまで | ||
セントレア サムソナイトを 押しながら 少し不安気 夫の旅立ち | ||
アメリカに すっかり馴染んだ 夫の顔 メールで届く 梅雨の晴れ間に | ||
小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ||
パソコンに 写し出される アメリカは 初めて夫が 訪ねし大地 | ||
アメリカ・インディアナポリスに住んでおられる友人を訪ねて、初めて夫が一人でアメリカに旅しました。2週間すっかり友人ご夫妻のお世話になって、とってもすばらしい体験をさせてもらったようです。 「杉原君は元気です」と、アメリカから度々届けてくださる写真付きメールに私も同行してるような気持ちで、うれしい留守番でした。 | ||
苅田では 雀や鳩が 集合し 林野農政 おしゃべり談義 | ||
主無き 畑に栗の 実が落ちて しみじみ秋は やって来るなり | ![]() |
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家族皆 総出で汗を 拭き合った 農機の音無き 思い出の秋 | ||
鰯雲 コスモスの花 赤とんぼ 母逝きし季よ はや七回忌 | ||
下駄の音 白川の郷に 響かせて 朝湯に向かう 小菊咲く道 | ||
冬ごもり 幾たび越して 来たのやら 古川の町に 泳ぐ大鯉 | ||
旧交を 暖めあって 露天風呂 新穂高の湯に 包まれて秋 | ||
秋の小旅行3句 | ||
黄金に 銀杏が屋根を 飾っても お地蔵さまは いつものお顔 | ||
いつも通る道脇のお地蔵さまの御堂に、銀杏の葉が一面に積もってキラキラ輝いてすてきでした。 | ||
団塊の 世代に問うと アンケート 我の回答 なべて無意欲 | ||
柿の実が 葉書の中から こぼれそう 久方ぶりの 姉の絵便り | ||
遥かなる 時を生き来た 杉の木は 内宮の森に 清やかに立つ | ||
ご招待いただき伊勢へ | ||
ゆるぎない 命の繋がり 確信し 内宮の森に 安らぎて立つ | ||
細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選 | ![]() |
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雪布団 どかっとかぶせて 足早に 師走の寒波 何処かに去った | ||
「おかげさま」 何度も言いて 思われて 一年が過ぐ 癒されし日々 |