平成 18年

  沸くように 細胞分裂して伸びる 草木のパワーに ひれ伏す五月
  閉じかけた 窓を開いて さあ一度 風を通そう この身の内に
    小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇入選
  こうのとり 娘のもとにも 舞い降りよ 飛騨で待ってる じじばばになる日
  向き合いて 過ごす飛騨路の 長い冬 犬でも飼うかと 不意に夫言う
    細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」特選 
細江先生評 : 厳しく長い冬を家に籠って過ごしている日常の一片をうたっただけのようだが、よく味わっていると長い冬を籠る人の心の営みを垣間見ることができる。いつしか二人の会話も途切れてしまい空気がよどんだようになった時夫は「犬でも飼うか」と言った。今の雰囲気をかえたくて言ったのだろうが妻にとっては「不意」のことだった。二人の心の在り処が異なっていたのだ。だが犬の話しがきっかけで会話がはずみ雰囲気も変わったに違いない。
  水面に 浮かんでメダカ 日向ぼこ 春はうれしい 唯にうれしい

人情が 薄くなったと おじさんが 嘆く道端 犬ふぐり咲く
寝坊した カエル一匹 土の中 耕す鍬に 驚きて起き
乙女らに 月日流れて 四十年 集えば瞬時 あの頃のまま
故郷に よく似た土地を 選んだと 友の新居は 山川のそば
自動車の 前に突然 鹿2頭 夜桜酔いが 一瞬に醒め
御岳と 旅人見つめ 幾年を 生き来た古桜  峠に立って
あざみ咲き 父母がいた あの五月 はじめて我が子に まみえた五月
目を細め まずは我が目の レンズから 調整している  デジカメを手に
写しましょ 私の世界を いっぱいに 夫に貰った ピンクのデジカメ
父母と 次兄偲んで 尋ね行く 兄弟揃い 高野山まで
兄弟が 枕並べて 高野の夜 遠い日父母が 泊まった宿坊
ぬか床に 挑戦決めた 夫の夏 娘と我は 味見の係り
輪の中に 入れば腕上げ 下駄を蹴り 娘はすっかり 郡上踊り手

平成19年

還暦の 年まで命 いただけて ただに手合わす 元日の朝
亡父亥年 我も亥年で 娘も亥年 命繋げて ゆくこの地球
    細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選
団塊の 文字があちこち 溢れ出し いやおうもなし 我らの世代
親の背に 見るべきものなど 無かったか 問うてもむなし 嫁さぬ娘と居て
発展的 別居としよう 娘と決めた この細道に 桜よ咲いて
   小瀬洋喜先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選
北方吉 占いの本に 出ていたを 心頼みに 娘の引っ越し
雛の節句を前に、娘(次女)は職場近くにワンルームのアパートを借り引っ越して行きました。
雛たちと しばしぽかぽか 日向ぼこ また来年も 会えますように
出来たよと 夕餉の写真が付いている 独り暮らしの 娘のメール
    細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選
白蓮が シャンデリアの ように咲き 里の日暮れに 華やぎ添える
山の端に 大き満月 現れて 桜咲いたか 花見はまだか
林立す マンション群の 一空間 娘夫婦の 求めし新居
アユタヤの 遺跡の中を 巡りゆく 悠久の時 夫と浴びつつ
夕暮れの バンコクの町の 喧騒に 活力気力 いっぱいもらう
千の風 畑の中を 吹き渡り 亡母と一緒に 茶を摘む五月
       細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」特選
細江先生評 : 中高年の共感を誘いヒットした「千の風」がごく自然に一首の中とけこんで生かされた。上の句によって「亡母と一緒」が思い出でなく現実のものになっていて、甘く流れがちな素材を支えている。
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平成 20年

娘二人 いるそれだけで 十分と 思えるまでの 長い道のり
    平井 弘先生選  朝日新聞「岐阜歌壇」特選
平井先生評 : その「長い道のり」について、この歌は何も語っていない。それがかえって余情となって一首を味わい深いものにしている。「思えるまでの」に言い尽くされていよう。そう思えるようになるまでに幾つもの曲折、心の揺れのあったことを、このひと言が十全に語っているからだ。事実を並べるだけでは歌にならない。
自分への まめな水やり 始めよう 枯れないように 涸らさぬように
どの顔も 60年を 生きぬいた 友よ乾杯 同窓の会
早咲きの 桜見に行こう 伊豆までね 春一番の メールが届く
    細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選

石一つ 入った骨箱 受け取りし 少年の日 夫の原点

・・  杉原俊治さん 三十一歳で戦死の地サイパン島を訪ねて ・・ 平成6年4月
* サイパン島 眠れる父と 浜に立ち 五十の千歳 共に語らん  敏治
* 義父眠る サイパンの土 ふみしめて 今の幸せ 謝して手合わす
* サイパンに 都忘れの 花咲けり 誰が植えたか 慰霊碑のもと  美知子

庭に咲く 福寿草の 花付けて 飛騨から送る 娘へのエール
飛行機の 窓に額を 押しつけて 見えた沖縄 娘のいるところ
娘ひとり お世話になって おりますと 頭下げつつ 空港に立つ
すまないと 思う気持ちが あふれくる 沖縄平和祈念資料館
今帰仁(なきじん)の 城跡巡る 夫と子と 美ら海(ちゅらうみ)の風 一緒に受けて
大切な 若木一本へし折った 市長選の悔い 消えずに残る
新緑の 中に一本 山桜 音無く花びら 舞わせてみせる
     細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選
一本の ポール頼りに 鯉のぼり 泳ぐも休むも 風の吹くまま
危ないよ 落ちるよいまに おお怖い サイド騒がし 庭木の剪定
「物事に とらわれないで 生きること」 諭す言葉に とらわれて梅雨
医師告げる 一言のみで 救われて ハミングまで出る 術後検診
     細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選
還暦の 記念に御嶽 登らんと 頂上目指す おみな三人
背を押され 喘ぎつ登った 御嶽で 迎えてくれた こまくさの花
生あらば 還暦迎える 青年の 慰霊碑が立つ 御嶽山に
空気抜く はい真ん中から しっかりと 夫を講師に 襖の張り替え
家中の襖がすっかりきれいになりました(^。^)
満月が 地球の混迷 見つめてる 霜月の夜の 澄んだ空から
トンネルに 入りて出てまた トンネルヘ 飛騨と越中 貫く高速
五箇山・高岡・氷見へ
紅葉の 中から汽車が 現れて また紅葉に 入り行く飛騨路
    細江仙子先生選  朝日新聞「岐阜歌壇」特選
細江先生評 : 今の季節よくうたわれる紅葉はひっそりとして動きのない雰囲気に置かれることが多い。この一首はトンネルを覆うばかりの紅葉がいきいきとしてゆれているようなイメージをもつ。それは勢いよく走る汽車をもってきたからである。またごく自然にうたわれ、ひとひねりしていないところがよい
  

平成 21 年

丑年は 亡母の年です それだけで うれしいのです うれしいのです
古毛糸 寄せ集めては 編む花の モチーフ箱に 増えゆく冬の夜
   細江仙子先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選
考えが まとまったらし 急に子が 猛スピードで キーを 打ち出す
新しい 老眼鏡で 新聞を 読んでも確かな 先は見えない
     平井 弘先生選 朝日新聞「岐阜歌壇」入選
やさしさを 沖縄の地で いただきて 嫁ぐ娘の 琉裝姿
晴れ渡り 海風渡る 波上宮 契りの杯が 身に染み渡る
母さんも おばあちゃんに なれるんだ 小春日和に 届いた知らせ

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